アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所見学
お久しぶりです!
前回のクラクフの記事からだいぶ時間が経っちゃいましたが、今記事ではアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所について書きたいと思います。
今回は、アウシュヴィッツで唯一のアジア人ガイド・中谷さんという方にガイドをお願いし、アウシュヴィッツを見学します。
中谷さんのガイドツアーには20名ぐらいの方が来ていました。
14時からの見学だったのですが少し遅れてしまい、中谷さんと他の日本人のツアー参加者に迷惑をかけてしまいました。笑
大変申し訳ないです。
さて、これからアウシュヴィッツについて色々書いていくわけですが、当然死体の写真などを載せることはありませんが、僕の乏しい文章力でももしかすると気分を害してしまう方がいらっしゃるかもしれないので、先にご忠告させていただきます。
この記事では、まずは中谷さんがガイド中におっしゃったことをそのままお伝えし、その後にテーマごとに僕の個人的な感想を述べていきます。
お前の感想なんていらねー!って方はスキップしてください。
アウシュヴィッツの基本情報
と、その前に、まずはアウシュヴィッツの基本情報を。
ここはWikipediaが最も簡潔に説明してくれているので引用します。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(アウシュヴィッツ ビルケナウ きょうせいしゅうようじょ、ドイツ語: Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau、ポーランド語: Obóz Koncentracyjny Auschwitz-Birkenau)とは、ナチス・ドイツが第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所である。アウシュヴィッツ第一強制収容所は、ドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ[注 1])に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)に作られた。周辺には同様の施設が多数建設されている。
「アウシュヴィッツ」は実はドイツ語名で、ポーランド語では「オシフィエンチム」というのは初めて知りました。
ツアーガイド・中谷さん
先ほども申し上げた通り、アウシュヴィッツにいるツアーガイドでアジア人・日本人のガイドは中谷さんだけです。
英語でのツアーガイドもありますが、日本語が母語であれば、ぜひ中谷さんのガイドでまわって欲しいです。
その方が伝わりやすいと思いますし、中谷さんはアウシュヴィッツ見学においていくつかのテーマを提示してくれて、しばしばそれは日本と関連して説明されるからです。
中谷さんについては、他の方のブログの方が詳しいと思うのであまり掘り下げませんが、一つ言えることはテーマを提示してくれたり日本と絡めて説明してくれるので、色んな視点からアウシュヴィッツのことを考えるきっかけを与えてくれるのが素晴らしいなと思いました。
数で見るホロコースト
アウシュヴィッツには140万人もの人々が収容されました。
そしてそのうちの90万人は、アウシュヴィッツについた瞬間に峻別され、ガス室に送られ殺されました。残りの50万人は強制労働を強いられましたが、結局大戦後に生き残ったのはその10%にあたるわずか5万人だったそうです。
ナチスのホロコースト全体においては、900万人の各収容所に入れられ、そのうち600万人もの人々が命を失ったそうです。
改めて数字を見てみると、その数に驚愕します。
もちろん、「少なければいいのか」という話ではないですが、数はことの重大さを測る上で重要な指標だと思います。
死者は、140万人のうちの135万人、900万人のうちの600万人です。
恐ろしすぎます。ナチスがいかにユダヤという民族を本気で滅ぼそうとしたのかわかります。
ポピュリズムをざっくり説明すると、政治的概念のことで、政治家がエリートに対して強く反発し、その代わりに大衆に直接訴えることを指します。時に、「衆愚政治」とも言われます。
このポピュリズムの問題点は、誰も反対意見を上げず、たとえ反対意見を出したとしても無視されてしまい、全体主義に陥ってしまうことです。
大戦時のナチスも同様です。
ヒトラーは、厳密には独裁者ではありません。
なぜなら、選挙で民衆によって選ばれているからです。
選挙で当選したのちに全権委任法を採択し事実上ヒトラーの独裁になってしまいましたが、あくまで土台にあるのは民主主義なのです。
当時のドイツでは、誰も反対しなかったのです。
これこそが中谷さんが指摘したポピュリズムであり、その危険性です。
アウシュヴィッツにはたくさんの写真が展示されていますが、その中にヒトラーの写真はほとんどないそうです。
それは、ナチスドイツの責任を全てヒトラーに押し付けるのではなく、ホロコーストに対して全く声を上げなかった人たち、戦後に責任を認めなかった「名もなき兵」たちを見直すため、だそうです。
「大衆に対して少数派が意見をすることは勇気がいるが、アウシュヴィッツに来て学び、大衆に意見をできる人になって欲しい」と中谷さんはおっしゃっていました。
しかし、街角でのユダヤに対するヘイトスピーチが20年後には、大虐殺に繋がっていった。
ヨーロッパの教育においては、ヘイトスピーチが20年後どのように発展していくのかを、ナチスホロコーストを用いて学ぶそうです。
これは、世界中の人々にとってクリティカルな話ではないでしょうか。
日本人の中には、韓国人や中国人に対してヘイトスピーチを繰り返す人がオフライン・オンライン共にいますし、逆に韓国人・中国人の中にもそういった人はいるでしょう。
アメリカでは、大統領であるトランプが人種差別的発言を繰り返しています。
イギリスでは、ボリスジョンソンの就任によって、一部のEU離脱過激派は移民に対するヘイトスピーチを加速させています。
こういったヘイトスピーチが20年後にどういう形になっているのか、僕たちは少し真剣に考えないといけないでしょう。
ヨーロッパ・ドイツの歴史教育
ドイツはもちろん、ドイツ以外のヨーロッパ各国においてもナチスホロコーストの影響は大きいそうで、ヨーロッパではホロコーストについて1年間かけて学ぶそうです。
そしてドイツでは、ナチスに関してかなりの時間をかけて学び、大学入学のための試験の歴史科目はほとんどが第一次大戦〜第二次大戦終戦後から出題されるそうです。
これはかなり驚きでした。
僕の高校には非常に優秀な世界史の先生がいましたが、ナチスについて学んだのはせいぜい3時間ほどです。カリキュラムがそうなっているので仕方がありません。
と同時に、日本の戦争教育とはかなり違うなという印象を受けました。
日本の学校では、第二次大戦時の日本の失策や愚策、そして虐殺などに関して学ぶのは少しで、むしろアメリカから原爆を二度落とされたということが強調されている感じがあります。
このあたりの歴史教育の違いが、「しっかりと反省している」と認識され、ユダヤ人によって許されはしないものの恨みや憎しみを表に出されることが少ないドイツと、「反省も謝罪もしていない」と時として認識され「被害者意識」が強く残っている日本との違いかもしれません。
(念の為補足しておきますが、僕はアメリカによる二度の原爆が正しいなんて微塵も思っていません。むしろ、化学兵器によって多くの無実な一般市民を殺し苦しませたその行為はとても卑劣で、ホロコーストとなんら変わりはないと思っています。ただ僕がここで言いたいのは、「原爆を落とされた」ということは別にして、日本人は自らが犯した卑劣な行為・愚策・失策をしっかりと認識し、反省しなければならない、ということです。自分たちは反省しているつもりでも、案外世界からはそう思われていないのが実情です。)
身の回りのグローバル化
「グローバル化」と聞くとついつい壮大なことを想像してしまって、一個人には何もできないと思ってしまいがちですが、「私たちの身の回りにもグローバル化は起きている」と中谷さんはおっしゃいます。
たとえば、東京のコンビニなんかに行くと、店員さんが東南アジア人なんてことはよくあります。そんな時に、「どこから来たの?」などと話しかけてみて、その人の国の言葉を喋ってあげたりすると、その人は「日本に受け入れてもらえた。日本って心地がいいな」と感じてくれるかもしれない。
逆に、これはさっきのヘイトスピーチの話にもつながりますが、「日本に来たんだから日本語を喋って日本の文化に従え」なんてことを言うと、外国人は疎外感を感じ、日本を嫌い、無用な対立に繋がってしまうかもしれない。
中谷さんのこのお話は、特に強く共感できました。
なぜなら、僕はアイルランドに5ヶ月滞在しており、いろんな国を旅して、先ほど述べたような「受け入れてくれる現地人」たちにたくさん会ったからです。
そういう人に出会うと、本当にその国が好きになるし、「受け入れてもらえた」という安心感があります。
僕らにも、市民レベルでグローバル化に貢献できるということを中谷さんは気づかせてくれました。
矛盾を孕んだ人間
この話は、中谷さんがお話してくれたものの中でも特に興味深く、もしかしたら全ての人間がナチスのような残忍性を持ちうるのではないかという恐れを抱きました。
というのは、皆さんもご存知のようにビルケナウではガス室で多くの人々が虐殺され、その遺体は燃やされ、残った骨は粉々に砕かれて、ビルケナウ内にある池か近くの川に流されて捨てられたそうです。
本当に恐ろしい話です。
しかし、それと同時にナチスは、ビルケナウ内に汚水処理場をつくったり木を植えたりして環境をケアする一面もあった。
さらに別の話では、アウシュヴィッツ=ビルケナウでは、戦時中に時間が経つにつれて、売春宿が建つようになったらしいのです。
ナチス兵らはそこに足繁く通っていたそうですが、それを見たアウシュヴィッツの所長は、「私たちは誇り高きナチスドイツ兵なのだから、そういった下品なことはやめろ」と部下に叱ったそうです。
こういった、環境保護に対する姿勢や人としてのモラルを気にしている至って普通の人間(かのように思える)人が、同時に民族洗浄を行っていたのです。
事の大小を問わなければこういった「矛盾性」は誰しもが持っているのではないかと思うと、決して他人事ではないのかもしれません。
障がいを抱える社会
ヨーロッパの教育においては、たとえば脚が不自由な人がある建物に行き、もしそこに階段しかなく、その不自由性を持った人が建物に入ることができなければ、その人に障がいがあるのではなく、建物自体に障がいがあると考えられるようになってきているそうです。
これはそういった不自由性を持っている人への同情からくるものではなく、不自由性を持った人を生かすことができない社会に障がいがあるのだという考えです。
2000年もの間迫害され続け、二次大戦時には民族ごと滅ぼされかけたユダヤに不自由性があるのではなく、その状況を生み出した社会に不自由性があるのです。
「幸せはお金ではない」
中谷さんはアウシュヴィッツでガイドという仕事をしていく上で、ホロコーストを生き残った人々と話す機会があるそうです。
その生き残りの方の一人は、ホロコーストを生き延びたことではなく、収容所において配給されるパンを仲間5人と平等に分け合ったことをいつも誇らしげに話していたそうです。(収容所における食事の配分が均等に分け与えることはなかった。)
「人を生涯幸せにするのはお金などではなく、こういった経験なのかもしれない」と中谷さんはおっしゃっていました。
中谷さんのお話の中で、個人的に印象的だった話は以上になります。
どのお話も、ナチスホロコーストに対する新たな観点でしたし、ホロコーストという’過去のもの’だけではなく、現代にも通ずる貴重なお話をいただけました。
ポーランドに行く機会があれば、ぜひ、アウシュヴィッツを訪れることをお勧めします。これは、歴史好きの人のみにではなく、全人類が知っておくべき、学んでおくべきことであると、個人的には思います。
長々とご覧くださりありがとうございます。
最後にアウシュヴィッツ=ビルケナウの写真を少しだけお見せしてこの記事を終えたいと思います。
ビルケナウ
多くの人々を’運んだ’列車の一部